はじめての絵の具セット
小学校から絵の具セットを持って帰って来た長男。ケースから絵の具ひとつひとつまで全てに記名して、また学校に持って行き、二学期まで使用しないとのこと。
でも二学期まで待ちきれず、購入した絵の具セットを見て「描きたい描きたい!!」というので、学校のものには手をつけず、ずっと放置していた私の水彩パレットを洗いついでに落書きしてもいいよー、ということに。
汚れてもいい場所と格好
当然2歳児も参加したがるので、筆とパレットとA3コピー用紙を適当に掴み、全員全裸になってお風呂場へ。使うのは水彩絵の具だから、どれだけ汚しても裸だし、石鹸で落ちます。
使いかけのパレットには、あらゆる色が残っていて、それを水で溶きながらどんどん紙に乗せていく二人。お風呂場なので、床は濡れていて紙もどんどんふにゃふにゃに。そんなこともお構いなしに、紙の端がちぎれても、色が薄くても、ひたすら塗り続けていく。
具体的な「何か」を描いているわけではなくて、ただただ色と遊ぶ二人を見ていて、すごく楽しそうで、あぁ、こんなに好きに描いてもいいんだなぁとなんだか癒されている自分がいました。

色を塗るということ
実は長男は、絵を描くのが嫌いです。おそらくイメージしているものがしっかりあって、そこに合わせて描きたいのに、技術がないから全く思い通りにならず、途中で絶望してしまって嫌になるようです。
気持ちはものすごくよく分かります。欠きたいものが描けない悔しさ。自分の実力のなさへの絶望。少しずつ練習して上手くなるしかないのですが、彼はその絶望が大きすぎて描くことそのものが嫌いになっていました。
無理強いしても仕方ないし、本人が望まないことを教えても仕方ないので、絵を描くことを強要はしてきませんでした。それでも、そんな彼が「塗ること」は全く別物として楽しんでいたのが少々意外でした。
どうやら彼にとって「描くこと」は「立体物を表現すること」らしく、以前立方体の描き方を教えたら喜んで練習していました。それでも「絵を描く」となると、総合的なイメージ力や全体を構成する力など、また違う能力が必要です。それらを総合する事が難しいらしく、「絵が嫌い」と言っていました。
ところが今回「塗る」ことだけに特化したので、純粋に色を紙に乗せることを楽しみ、「この色とこの色を混ぜたらどうなるか?」「この色を薄めたらどうなるか?」という科学的好奇心が満たされたようです。
絵の捉え方についての発見
長男の様子を見ていて、私にとっての絵は、「内容の捕捉」「文章の理解を助けるもの」という側面が強く、かなり挿し絵や図解として認識しているんだな、と発見がありました。だから絵画を見ても「何を表現しているのか」「画家の異図は何か」と「読み取ろう」とします。
そのためそういった読み取りを拒否したような抽象画が苦手でした。雰囲気で表現するシャガールも苦手です。
でも、楽しんで描いたんだろうな、というのはわかります。今度それらの絵を見てみるときは、楽しそうに色と戯れていた長男と次男を思い起こしながら、画家の気持ちを汲んでみようかなと思いました。