かつて、パリのポンピドゥーセンター前の広場には、彫刻家コンスタンティン・ブランクーシのアトリエを再現した小さな展示施設がありました。
入場は無料。観光客の多い場所にありながら比較的空いていて、ガラス越しに作品と制作道具が並ぶ静かな空間を、ゆっくり眺められる場所でした。
残念ながら、ブランクーシのアトリエとしての公開はすでに終了しています。
現在、展示されていた作品はポンピドゥーセンターの美術館や収蔵庫へ移され、建物は別の用途に使われています。この記事では、閉館前に撮影した写真とともに、当時のアトリエの様子を記録として残します。
コンスタンティン・ブランクーシとは
コンスタンティン・ブランクーシは、1876年に現在のルーマニアで生まれた彫刻家です。
1904年にパリへ渡り、1957年に亡くなるまで、この街で制作を続けました。
私がブランクーシを知ったきっかけは、中学校の美術の教科書に載っていた《空間の鳥》です。
鳥の羽やくちばしを再現するのではなく、空へ飛び立つ動きそのものを、細長く磨かれた形で表現する。その考え方がとても印象的で、「カッコいいなぁ!」と思ったことを覚えています。
ほかにも、単純な形の反復によって空へ伸び続けるように見える《無限の柱》、水の中を滑る動きを思わせる《魚》、首を伸ばして鳴く姿をギザギザの形へ置き換えた《雄鶏》などがあります。
どれも本物の動物や物の姿をそのまま写すのではなく、そのものが持つ動きや性質を、できる限り単純な形に凝縮した作品です。
ポンピドゥーセンター公式コレクション|コンスタンティン・ブランクーシ
アトリエ全体がひとつの作品だった
ブランクーシは、1916年からパリ15区のアンパス・ロンサンに構えた複数のアトリエで制作していました。
作品だけでなく、台座や制作道具、光の入り方、作品同士の配置までを大切にしていたため、アトリエ全体がひとつの作品のような空間になっていたそうです。
1956年、ブランクーシは作品や家具、道具、写真など、アトリエの内容をフランス政府へ遺贈しました。その条件は、アトリエを当時の状態に近い形で再現することでした。
ポンピドゥーセンター前にあった建物は、建築家レンゾ・ピアノによって設計され、1997年に公開されたものです。
内部には、137点の彫刻、87点の台座、41点の素描、2点の絵画などが収められていました。
閉館前のブランクーシのアトリエ
展示室には直接入らず、作品や道具が残された空間をガラス越しに見学する構造でした。
白い壁と天窓から入る自然光が美しく、ポンピドゥーセンター前のにぎやかな広場にいることを忘れてしまうほど静かでした。
奥に並ぶのは《無限の柱》。そのそばには《空間の鳥》があり、手前には《魚》《オットセイ》《眠れるミューズ》などが見えます。
ひとつの完成作品を独立して展示するというより、よく似た形の作品が素材や大きさを変えながら、同じ空間の中で対話しているように見えました。
こちらは、別の角度から見た《魚》と金色の《オットセイ》。
非常に単純な形なのに、作品名を知った途端、水の中をすべるような動きが感じられるのが面白いところです。
《雄鶏》も、大きさや素材の違う作品がいくつも並んでいました。
タイトルを知らずに見ると、何かのギザギザした柱のようです。しかし《雄鶏》だと分かると、首を上下させながら歩き、今にも声を上げそうに見えてきます。
細長い《空間の鳥》のそばには、丸い頭部を横たえた《眠れるミューズ》がいくつも並んでいます。
奥には制作道具も残されていて、ブランクーシが少し席を外しているだけのようでした。
ブランクーシのアトリエは現在どうなっている?
ポンピドゥーセンターの改修工事に伴い、アトリエ内に展示されていた作品は、美術館と収蔵庫へ移されました。
旧アトリエの建物は現在、「Maison Pompidou」として、ポンピドゥーセンターの改修計画を紹介する展示やイベントなどに使われています。
ポンピドゥーセンターが再開する予定の2030年以降は、カンディンスキー図書館や資料部門が入る研究・資料センターとして使用される計画です。
そのため、この記事の写真にあるアトリエを、現在同じ形で見学することはできません。
ブランクーシの作品がどこで公開されるかは展覧会や貸し出しによって変わるため、見に行く場合はポンピドゥーセンターの公式コレクションや最新プログラムを確認してください。
閉館しても残しておきたい静かなアトリエ
ブランクーシのアトリエは、完成した作品だけでなく、台座や道具、作品同士の距離、光の入り方まで含めて楽しめる場所でした。
にぎやかなポンピドゥーセンター前にありながら、いつ訪れても静かで、作品をゆっくり眺められる。私にとって、とても好きな場所のひとつでした。
以前の姿をもう見られないのは残念ですが、ブランクーシが作品をどのように並べ、どのような空間で制作していたのかを伝える記録として、この写真を残しておきたいと思います。

