ルーヴルの三大貴婦人に共通するもの

ルーヴルで必見のアノ3人

ルーヴルと言えば、この人たちを見ずには帰れない、超有名なお三方が居ます。

16世紀初頭のイタリアに現れた巨匠、レオナルドダヴィンチの傑作
モナ・リザ(制作年:1503年 – 1519年頃)  

作者不明、1820年にエーゲ海にあるミロス島で発見された
ミロのヴィーナス(制作年:前130年-前100年頃)

作者不明、1863年にエーゲ海のサモトラケ島で発見された
サモトラケのニケ(制作年:前200–前190年ごろ)

それぞれにコメントをするとそれだけでめちゃくちゃに書きたいことがあるので
また追々記事にするとして、今回はこの3人を敢えてまとめて紹介します。

追及される「理想の美」と鑑賞される「未完成の美」

この3つを含む、ルーヴル公式のおすすめ見学コースが日本語で紹介されています。
私が行った9年前には、ルーヴルのHPもまだまだ貧弱で、日本語対応なんて全然していませんでした。だから、改めて今調べて、ものすごく色々勉強になっています。

さて、この3体。ルーヴル公式の説明を読むと、共通する項目が沢山あって、非常に面白いです。まず、3つとも「理想的な美」を追求して制作されたもので、「解剖学的に正しくあろう」とか、「本物の肉体に極限まで似せてリアルを追求する」という趣向ではありません。時代的にも解剖学はまだないし、リアリスムの台頭もまだまだ先のことです。

「こんな美人さんがいたらいいな!」という思いの元制作されたと思われ、それがはるかな時を経た私たちが見ても「やっぱり美しい」と思うのだから、理想の美というのは大昔からそう変わらないのかもしれません。もしくは、理想の美がこういった形で残っているから、ずっと「理想の美とはこういうものだ」と思い込んでいるのかもしれません。


そして、さらに共通するのは、この3つは今現在「不完全な形」であるということ。

モナリザは、ダヴィンチが最晩年まで手元に置いて手を入れていたと言われています。晩年のダヴィンチは完成作品がないとまで言われており、モナリザもおそらくは未完だと考えられています。

ミロのヴィーナスは、両腕がありません。最初はついていたであろうその両腕がどうなっていたのか、多くの人が想像と論争を熱くしていますが、決定的なものは未だにありません。

そして、サモトラケのニケに至っては、頭部がありません。どんな表情をしていたのか。どんな顔立ちだったのか。現状、知る術はなく、力強い胴体から察するしかありません。

何を見たいかという問い

理想の美を追求して制作されたのに、今見ることができるのは不完全な3つ。よく言われる、「想像で補う余地こそが最高の美しさなのだ」という言葉。私は最初、この言葉を聞いたとき、イマイチ意味が分かりませんでした。素人の私が考えるより、最高のアーティストが作った完成品が最高に決まってるだろ、と思っていたのです。

でも、それはこんな風に考えられます。最高の天ぷら職人が、最高の状態で揚げてくれた熱々の天ぷら。職人は、揚がった天ぷらをお皿に盛って、お客さんの目の前に出しますが、どう食べるかは委ねています。そう。天つゆにつけても、塩で食べても、何にもつけずに熱々サクサクを味わっても、それは食べる人の自由なのです。最後の味付けは、食べる人の好みで、一番好きな食べ方で味わうことを許されているのです。

ルーヴルの不完全なこの3つも、きっと同じです。素晴らしく美しいベースがある。でも、見ている人の好みで想像する余地が残されている。人間はあまのじゃくで、「これで完成品です」と言われて出されれば、どこかにボロがないかと探してしまうところがあるのではないでしょうか。ところが不完全な状態で展示されているとなれば、あら捜しをするのはナンセンス。「俺だったらこんな風なのがいいなあ」とポジティブな想像の世界を楽しむことができるのです。

そこにある、3つそれぞれの作品は、もちろん技術や表現が素晴らしいものです。でも、そこで鑑賞者が見ているのは、作品に上乗せして好きに妄想できる「俺好みのオンナ」なのではないでしょうか。


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